2016年6月11日土曜日

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(19)

スティーブン・ピンカーとエリザベス・スペルクとの対論をちまちま訳しています(前回はこちら).先行のピンカーが提示した証拠と対立する証拠をスペルクが提示しているところ.

以下,訳文:



エリザベス・スペルク:こうしたちがいがあることから,男性と女性に時間制限つきのテストを受けてもらうと,ときとして,それぞれちがった認知特性 (cognitive profiles) を見せることがあります.問題をすばやく解かなくてはならないとき,方略によって解きおえる速さがちがってきます.このため,女性は一部の言語タスク・数学タスク・空間タスクで男性を上回るスコアをとり,男性はそれらとちがう言語タスク・数学タスク・空間タスクで女性を上回るスコアをとるのです.こうした認知特性のちがいのパターンは,よく大衆向け報道が触れ回っているような「女性は『言語的』で男性は『空間的』だ」という一般化ではうまくとらえられません.女性はヒト志向で男性はモノ志向だという考え方の証拠も,これと大差ありません.そうではなく,ちがいはもっとこまやかなのです.

こうした2つの認知特性のどちらか一方が他方よりも数学の学習をはぐくむのにすぐれているのでしょうか? もっと狭めて言えば,高度な数学的推論で男性の認知特性の方が適しているのでしょうか?



ここまで議論を進めたところで,数学教育と数学テストに関する研究文献で大いに論じられてきた問いにいきあたります.その問いとは,「どんなモノサシをつかえば,男性と女性のどちらが数学に秀でていると判定できるのだろう」――これです.

「大学進学適性試験 (SAT) の計量的な部分である SAT-M の成績に目を向ければいいじゃないか」という人たちもいます.ですが,この提案は循環論の問題があります.SAT は,いろんな種類の項目から成り立っています.項目のなかには,女性の方がうまく解くものもあれば,男性の方がうまく解くものもあります.テストをつくるひとたちは,そうした各種の項目をそれぞれどれくらいずつ盛り込むべきなのかを判断しなくてはなりません.その配分しだいで,女性の方がすぐれた数学者のように見せることもできれば,逆に男性の方がすぐれた数学者のように見せることもできます.正しい解決案はなんでしょうか?

これまで幾多の本がこの問いにささげられてきましたし,論争もたくさんありました.しかし,ある一点に関して,同意はできていないようです:つまり,公正なテストを考え出す唯一の方法は,数学的な適正とはなんなのかという理解を独立に深めていき,その適正が男女でどんな分布になっているのかを理解することに他ならない.しかし,そうなると,SAT の成績をもってその理解とするわけにはいきません.他の方法でその理解を得なくてはなりません.では,どうすればいいのでしょうか?

第二の戦略は,職業選択の結果に目を向けるというものです.たぶん,数学にひいでた人たちとは,より数学を使うキャリアを歩んでゆくでしょう.ですが,この戦略には問題点が2つあります.第一に,数学を多用する職業と言っても,どれを選べばいいのでしょうか? たとえば工学を選んだとしましょう.すると,男性の方が数学にすぐれているということになります.エンジニアになるのは男性の方が多いですからね.他方,もしも会計を選んだとすると,女性の方が数学にすぐれていることになります.会計士になるのは女性の方が多いからです:現在の会計士の57パーセントは女性です.では,どの職業を選んで,男女のどちらが数学の才能に長けていると判定すればいいのでしょう?

以上の2つの例をみると,職業選択の結果をもって数学的才能の尺度とすることには,さらに深い問題があることがうかがえます.もちろん,数学を多用する職業につくには,数学に秀でていなくてはならないに決まっています.ですが,数学の才能はキャリア選択に影響するさまざまな要因の1つにすぎません.数学的能力をはかる唯一無二の尺度にはなりえません.

では,どうすればいいのでしょう? こんな実験をしてみてはどうでしょうか? 同等の教育的な背景をもつ大勢の男子学生と女子学生を集めて,本物の数学者が直面するタスクを彼らにやってもらうんです.まだ習得していない数学の題材を与えて,長時間かけてこれを学んでいいですよと伝えます.ここでいう「長時間」とは,本物の数学者が取り組むのと同じだけの時間です.そして,次の点を調べるんです――学生たちはどれくらいうまくこの題材を習得しただろうか? ここでいいお知らせを伝えましょう.この実験はしょっちゅうなされています.その名も,高校・大学というんです.

実験結果は次のとおりです.高校では,女の子も男の子も同じ数の数学授業をとっています.いちばん高度な授業も同様です.そして,女の子の方がいい成績をとっています.大学では,学士号をとる女性の人数は,男性のほぼ半数です.そして,男性と女性は同等の成績をとっています.ここで,さきほどスティーブが言ったことに,敬意を払いつつも異論を申し上げましょう:男性と女性は,同等の成績をとっています.ただ1つの教育機関のたった1つの数学クラスをとりあげて比較しただけでも,同等です.さまざまなクラスで均してみても,男女は同等の成績をとっています.

この大規模実験の結果から,男女で数学の才能は同等だと結論を下すあらゆる理由がえられます.ここで,私もダイアン・ハルパーンを引用しましょう.ハルパーンは,性差を支持する多くの証拠を検討しましたが,彼女の結論によれば,「ちがうということは欠陥があるということではない」のです.男性と女性は同等の数学適正をもちあわせています.たしかに性差はあります.しかし,だからといって,そうした性差を積み重ねていっても,一方の性別が他方の性別よりも全体的にすぐれているということにはなりません.

――今日はここまで.
 

0 件のコメント:

コメントを投稿