2016年6月9日木曜日

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(18)

スティーブン・ピンカーとエリザベス・スペルクとの対論をちまちま訳しています(前回はこちら).先行のピンカーが提示した証拠と対立する証拠をスペルクが提示しているところ.

以下,訳文:



1つ目の事例は,自然数概念の発達です.子供は,2歳から4歳のあいだに自然数の概念をつくりあげます.その器官のどの時点をとってみても,ばらつきはたくさんみつかります.たとえば,3歳から3歳半のあいだですと,子供によってはまだ「いち」という単語の意味をようやく理解したばかりで,1という概念とそれ以外しか区別できなかったりします.そうでない子供たちに目を向けると,なかは「じゅう」まで数え上げる単語の意味をすべて理解している子もいますし,もっと多くの数まで理解している子たちもいます.こうした子供たちは,「いち」から「じゅう」までの単語をすべて使えます.大半の子供たちは,この2つの中間です:〔数を表す〕記号の最初の2つか3つまでは理解しているとか,もうちょっと先まで理解している,といった具合です.〔しかし〕子供たちの成績〔数理解の度合い〕を男女の性別で比較してみると,自然数概念の構築で男の子たちが有利だという手がかりはまるで見当たりません.

2つ目の事例は,大人を相手に実施される心的回転にできるかぎり近いものを学齢期前の子供たちにやった研究から得られます.こうした研究では,なんらかの決まった図形をかたどった部屋に子供たちをつれていきます.部屋のどこかの隅っこに,なにかが隠してあり,子供たちに目隠ししてもらい,その場でぐるぐると回します.子供たちは,部屋の形状を覚えておいて,目隠しをはずし,それからみずから回転して隠しもののありかへともどらねばなりません.4歳児のグループでテストすると,偶然を上回る確率でこの課題をこなせるものの,完璧ではないのがわかります.成績には高低のばらつきがあります.この成績を性別でわけて調べても,やはり,女の子より男の子の方がすぐれているという手がかりは見つかりません.

こうした事例をはじめとするさまざまな発見で,2つの論点が支持されます.第一に,数学的・科学的な推論にはたしかに生物学的な基盤があるということ.正規の教示を受ける前から登場して数学的思考の基礎となる中核的知識を備えて私たちは生まれてきます.第二に,こうしたシステムは男女で同等に発達するということ.10年前,進化心理学者で性差の研究をしているデイビッド・ゲアリー (David Geary) が,当時利用できた研究文献を調査しました.その結論によれば,数学の基礎となっている「一次的な能力」(primary abilities) に男女差はありません.その後の10年間の研究も,この結論を支持しています.

もっと年齢が上がると,たしかに性差は現れます.そうした性差は子供時代の後期になって登場するため,生物学的な起源と社会的な起源とを切り分けるのは至難です.しかし,その課題を試みる前に,まずはどういう性差なのかを見ておきましょう.

スティーブが述べたものもその他の人たちが述べたものも含めて,認知的なちがいについて次のように言っても,言い過ぎではないと思います――複数の異なる方略で解ける複雑なタスクを提示されたとき,男性と女性では好む方略が異なることがあります.

たとえば,配置の幾何学的な構造を表示することでしか解けないタスクでは,男女のちがいはみられません.ところが,幾何学的な構造を表示しても個々のランドマークを表示しても達成できるタスクでは,女の子はランドマークを頼りにしがちであるのに対して,男の子たちは幾何学を頼りにするのです.他の例を挙げますと,向きがまちまちな2つの物体のいろんな形状を比較するとき,使える方略は2つあります.物体の一方をまるごと回転させて,もう一方と照らし合わせてもいいですし,あるいは,2つの物体に見つかる特徴それぞれを1対1でつきあわせてもかまいません.男性は前者を使う傾向があり,女性は後者を使う傾向があります.

最後に,SAT-M で出題される数学の文章題では,複数の別解が許容されることがよくあります.回答項目の分析 [*] でも,そうした文章題の解決に取り組んだ高校の生徒たちを対象とする研究でも,数式を組み合わせて解くか,それともヴェン図のような空間的推論をやるかを選べるとき,女の子たちは前者をやり,男の子たちは後者をやる傾向が示唆されています.

※ 'item analysis' が具体的にどういうもののことかよくわからない.

――今回はここまで.

つづきます

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