2017年3月16日木曜日

weblog: シュワーツ「科学研究における愚かさの重要性」

▼ マーティン・A・シュワーツ「科学研究における愚かさの重要性」
前半はこんな感じ:

先日,長く顔を見なかった古い友人と会った.ぼくらは同時期に Ph.D の学生をやっていて,分野こそちがったけれど,科学を研究していた.彼女はのちに大学院を中退して,ハーバードのロースクールに移り,いまでは大きな環境団体で上級弁護士をやっている.会話をしているうちに,なにかの拍子に話題が彼女の中退理由になった.ぼくにはまったくの驚きだったのが,自分がバカなように感じたから中退したという彼女の言葉だった.毎日自分がバカなように感じる生活を2年ほど続けたあと,他のところにいく気持ちが固まったのだと彼女は言った.

当時から,ぼくの知っているなかで彼女はいちばん利発な人間の1人だと思っていたし,その後の経歴がそれを裏打ちしている.彼女の言葉に,ぼくは戸惑った.ずっと考え続けていたら,翌日,はっと気づいた.ぼくだって,科学をやっていて自分がバカだって感じてるじゃないか.たんに,ぼくはそのことに慣れっこになってるだけだ.というか,あまりに慣れっこになってしまって,バカになった気分になる新しい機会を自分から探し求めてるくらいだ.バカみたいに感じることなしにどうすればいいのか,ぼくにはわからない.もっと言えば,バカみたいに感じてしかるべきなんだとすら思ってる.説明させてほしい.

ぼくらの大半にとって,高校や大学で科学を好きになった理由は,自分が得意だったからだ.それだけが理由なはずはない――物理世界を理解する興奮もあるだろうし,新しい物事を発見したいという情動もあるだろう.でも,高校や大学の科学はあれこれとコースを受講するもので,コースでうまくやろうとすれば,テストで正解を書かなきゃいけない.答えを知っていればうまくやれて,じぶんは利口だなと思うようになる.

Ph.D では,研究プロジェクトをやらなくちゃいけない.これは,高校や大学とはまるっきり異なる.ぼくにとっては,くじけそうになるタスクだった.意味のある発見につながる問いなんて,いったいどうすれば立てられるっていうんだ.有無を言わせない説得力満点の結論になるよう実験を設計・解釈するなんて,どうすればいい? 厄介ごとを予見して回避方法を見つける方法は? もし厄介なことが起きたら,どうやって解決すればいい? ぼくの Ph.D プロジェクトはそこそこ学際的だったので,しばらくのあいだ,なにか問題にハマるたびにいろんな分野の専門家を学部じゅう探し回っては必要な教えをあれこれねだった.いまでも思い出すのが,Henry Haube のことだ.ぼくが自分の分野で抱えていた問題について聞いたところ,問題の解き方を知らないと彼は答えた(その日から2年後に彼はノーベル賞をとった).ぼくは大学院3年目の学生で,Taube ならぼくの1000倍は(保守的な推定で)いろんなことを知っていると思っていた.あの Taube が知らないなら,誰も知りっこなかった.

そこでぼくはハッとなった:そうか,誰も知らないんだ.だからこそ,その問題は研究問題だったんだ.そして,こいつはぼくの研究問題なんだから,その解決はぼくにかかってる.いったんこのことに行き当たると,それから2日ほどで問題を解いた.(ほんとは大した難問じゃなかった.ほんのいくつか試してみれば片付いた).何より大事な教訓は,「自分が知らない物事の範囲は,たんにものすごく広大だったというだけじゃない.あらゆる実践的な目的にとって,無限に広かった」ってことだ.このことに気づくと,くじけるどころか,解放される心地だった.ぼくらの無知が無限なら,とれる行動方針はただひとつ,できるかぎりジタバタやってみるしかない.


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