2016年5月27日金曜日

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(10)

ピンカーとスペルクの議論をちまちまと訳しています.いまはピンカーによるプレゼンの途中.(前回分はこちら)

以下,訳文:

第三に,時間経過をとおしての安定性.
第二波フェミニズム以後に成人を迎えた2世代において,生活の関心事や性格はほとんど変化を示していません.また,有名なことではありますが,さまざまなイデオロギー上の理由から性差をどうにかして一掃しようと試みたコミュニティでは,変化への抵抗が生じ,変えようにも変えられないことが明らかになりました.そうしたコミュニティには,イスラエルのキブツ,前世紀アメリカのさまざまなユートピア的コミューン,そして現代の両性具有的な〔男女の役割をともにかねる〕大学人カップルなどがあります.

心の中での〔3次元物体の〕回転テストでは,Voyer によるメタ分析から,時間経過で変化しないことがわかっています.数学的推論の場合,まだ消え去ってはいませんが,差異の大きさは下がってきています.

第四に,多くの性差はヒト以外の哺乳類にも見られます.
たまたま歴史のはじまりにこうした相違点が人間文化によって恣意的に選ばれて,そのままずっと複製されてきたのだとしたら,おどろくべき偶然の一致というべきでしょう.多くの哺乳類で,オス・メスに大きな相違点が見られるものを挙げれば,攻撃性,子孫への投資,攻撃のあそびと育児のあそび,行動範囲があります.行動範囲のちがいは,その種の空間能力(たとえば迷路解決)の性差を予測します――少なくとも,一夫多妻制の種ではそうです.そして,ヒトもこれに分類されます.霊長類の多くの種は,物理的なモノと同種の仲間への関心で性差を示します.子供の遊びのパターンで見られるちがいです.ヴェルヴェットモンキーの赤ちゃんでは,オスはトラックで遊ぶのを好み,メスは別の種のおもちゃで遊ぶのを好む,というちがいすら見られます.

第五に,こうしたちがいの多くは子供時代の初期から現れます.なんでも,小さな男の子と女の子は〔こうしたちがいの〕区別がないまま生まれて子育てを通した社会化によって性質に刻み込まれるのだと信じている人たちを指す専門用語があるそうです.その用語とは,「子なし」("childless") だそうです.
性差のなかには,生後1週間で生じるように思われるものもあります.男の子よりも女の子の方が不快な音声 [sound of distress] によく反応し,他人と目を合わせます.また,ある研究によれば,新生児の男の子は人の顔よりも物理的なモノに目を向ける方に関心を見せるのに対し,新生児の女の子たちは物理的なモノよりも顔に目を向ける方に関心を見せるそうです.この研究にリズは異論があるそうなので,あとで議論できればと思います.

発達でもう少し後の時期になると,男の子と女の子で大きくて頑健なちがいがでてきます.こうしたちがいは,世界中で見受けられます.女の子よりも男の子の方がはるかに頻繁に 〔相撲のような?〕乱戦のあそび [rough-and-tumble play] をやります.そうしたあそびには,攻撃性,物理的な活動,そして競争が関わっています.他方で,女の子は協調のあそび [cooperative play] をずっと多くやります.そう,それに,男の子たちはなんでも乗り物や武器にみたててあそぶのに対し,女の子たちはなんでもお人形にしてあそびます.直観心理学にも男女のちがいがあります.つまり,他人の心をどれくらい上手に読めるか,という点にも男女差があります.たとえば,いくつかの大規模な研究によれば,男の子たちにくらべて,女の子たちは「誤信念課題」をじょうずに解きますし,物語の登場人物たちの心の状態をうまく解釈します.


――今回はここまで.

続きます

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