2016年5月14日土曜日

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(02)

スティーブン・ピンカーとエリザベス・スペルクの対論のつづき(前回はこちら).


以下,訳文:





ピンカー:これは,極端な言明です――とくに,〔スライドに画像を並べている〕こうした著作や他のさまざまな文献レビューに要約されているとてつもない量の研究が,実はずいぶんちがう結論を示していることを踏まえると,なおさら極端に思えます.そのなかの1つから引用しましょう.ダイアン・ヘルパーンが書いた『認知能力の性差』という本から引用します.ヘルパーンは立派な心理学者で,数年前にアメリカ心理学会会長に選出されています.また,なんでもかんでも理論でぶった切るような人でもありません.彼女は特定の理論に心酔してはいません.たとえば,進化心理学をずっと批判しています.同書の序文をみてみましょう:


《本書の執筆をはじめた頃,男女での思考能力にみられる性差がさまざまな社会化の営為や人為結果や研究の失敗によるものだというのは明白なように思われた.積み上げると数フィートにもなる学術論文の山を検討し,その論文の山すら小さく見えるほど大量の本や本から抜粋した数章を読み通していった末に,わたしは考えを変えた.認知能力に見られる性差に関する文献は,発見どうしが相反していたり,理論どうしが矛盾していたりすることがいくつもあり,しかも,研究の裏づけがない感情的な主張もしょっちゅう見つかった.しかし,データのそうしたノイズがあふれかえっているにもかかわらず,明瞭かつ一貫したメッセージが聞き取れた.認知能力の一部には現実に性差があり,その性差がかなり大きい事例もあるのだ.社会化の営為は疑いなく重要ではある.だが,認知に関わる性差の確立と維持に生物学的な性差がなんらかの役割を果たしているという証拠はしっかりしている.関連文献を検討しはじめたときには,こんな結論を述べることになるとは思いもよらなかった.》

この一節は,ぼくの見たてを完璧に言い尽くしています.

ふたたび,火星からおいでのみなさんのために申し添えておきましょう:この件は,たんに実証的な心理学の古い問題におさまりません.この問題には,あからさまに政治的な色彩があります.そこで,まずはじぶんの政治信条を告白しておきたく思います.ぼくはフェミニストです.女性はこれまで数千年にわたって抑圧されてきたし,差別されてきたし,いやらがせも受けてきたと思っています.20世紀に二度のうねりをみせたフェミニズム運動は,人類の最高に誇るべき達成に数えられると思っています.あの運動のうねりのなかに生きてきたことを誇らしく思っています.これには,科学における女性の台頭を後押しする努力も含みます.


ですが,ここでぜひとも区別しておくべき大事なことが1点あります.一方には,性別を理由にして人が差別されるべきではないという道徳的な命題があります――これがフェミニズムの中核だとぼくは理解しています.もう一方には,男性と女性が生物学的に区別がないという実証的な主張があります.この2つは同じことではありません.それどころか,フェミニズムの中核部分をまもるためには,両者の区別が不可欠です.科学に心から関心を抱いている人なら,どんな論点であってもそれに関わる事実がどんなものだと判明してもいいよう心づもりをしておかねばなりません.そうであればこそ,実験室やフィールド調査からもたらされる最新の発見に対してフェミニズムの理想を人質に抵抗しないことが必須となります.そうしないと,いざ事実からなにか性差があるとわかったとき,こう言わなくてはならなくなってしまうでしょう――「じゃあ性差別ってそれほどわるいことでもなかったんだな」 あるいは,理想を保持するために,怒り狂って発見を抑圧したり歪曲したりすることになってしまいます.真実は,性差別主義者ではありえません.事実がどんなものであろうと,フェミニズムの中核部分を弱めるものと受けとられるべきではありません.


――今日はここまで.

つづきます

0 件のコメント:

コメントを投稿