2014年10月14日火曜日

古市憲寿氏による吉野作造の「雑訳」はたんに雑であって訳ではない

ツイッターでご教示いただいたのでとりいそぎメモる.

社会学者の古市憲寿氏が,吉野作造の文章を次のように「雑訳」している
(雑訳)もし日本の荒廃の原因が、あまりにも西洋化して、美しい伝統が失われたっていうのならば、西洋はとっくに滅んでないとおかしいじゃん。(by 吉野作造「蘇峰先生の『大正の青年と帝国の前途』を読む」1917年)  
しかし,これは原文の趣旨をまげているおかしな訳だ.吉野の文章と照らし合わせてみよう.


吉野の原文(強調は引用者によるもの):
例へば今日の青年の志気の振はざるは、西洋思想若くは西洋文学の結果なりとして、はては西洋の文物に眼を蔽はんことを要求するが如き態度に出づる。西洋の文学の中には余りに個人的な、余りに非国家的な分子もあらう。然し適当に之れを理解して居るものから見れば、此等は恐らく大して青年を誤る種にはならぬだらう。若し斯くの如き文学の流行するが故に青年の志気頽廃するといふならば、火元の西洋では夙(と)うの昔に亡国となつて居なければならぬ筈だ。

▼ぼくなりの現代語訳:
たとえば,いまどきの若者の志気がふるわないのは西洋思想や西洋文学のせいだと言って,あげくに「西洋の文物なんかに触れるんじゃない」と要求するような態度にでる人たちがいる.西洋の文学のなかには,あまりに個人的だったり,あまりに非国家的なものもあるだろう.だが,そうしたものをしっかり理解している人間から見れば,これらはおそらく大して若者を誤らせることはないはずだ.もし,そういう文学が流行しているせいで若者の志気が荒廃するのだとしたら,火元の西洋はとっくに滅んでいなくてはおかしいはずじゃないか.
古市氏の雑訳と吉野の文章でなにがちがってるか確認しよう.

  • 吉野作造の原文:西洋の文学・思想のなかでも個人的・非国家的なものに触れたせいで若者がダメになっているという主張をとりあげて,「それならもともとの西洋は滅んでいるはずじゃないか」と反論した.
  • 古市氏の雑訳:「西洋化して、美しい伝統が失われた」ことで日本が荒廃しているというなら,もともとの西洋は滅んでいるはずじゃないか,と吉野は反論した.

吉野は若者論批判としてこれを述べている.他方,古市氏はその議論の本位をとりこぼしている.そもそも,この文章全体で「伝統」という単語はでてこない.

▼以上をふまえて,古市氏との公正を期して,ぼくも1ツイートにおさまるように「雑訳」してみよう(117文字):
「西洋の個人主義的または非国家的な思想やら文学やらのせいで日本の若者がだらしなくなってるっていうなら,元の西洋はとっくに滅んでいなくちゃおかしいでしょうよ」(by 吉野作造「蘇峰先生の『大正の青年と帝国の前途』を読む」1917年)  

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