2017年8月12日土曜日

意味論入門一歩手前: レッスン #2

前回のポストでは,次の発言を題材にして,2つの問いを出しておきました.
小黒 『発動編』で、板野さんは人物は描いてないんですか。人が死ぬところとか。
板野 いや、何人かは殺してますよ
小黒 あ、やっぱり。
(「animator interview 板野一郎(3)」WEBアニメスタイル,2005年1月28日)
  1. この板野さんの発言の「殺してますよ」はどんな意味だろうか? 現実にどんな出来事があったとき,この発言は事実を言っていることになるだろうか? たとえば,板野さんが出刃包丁で知り合いのアニメ監督やプロデューサーを「何人か」刺して殺した事実があったとき(スミマセン),この発言は事実を言っていたことになるだろうか? 
  2. 一方で,それとはちがう意味でこの「何人かは殺してますよ」を発する場面には,どんなものがありうるだろうか? 具体的にどんな人がどんな状況で発する場面なら,上記のインタビューとはちがう意味になるか,考えてみよう.
今回は,この問い 1 & 2 の解説編です.

2.1 問い 1 を考える――真理値と真理条件


まず,問い 1 を考えましょう.板野さんの発言はじっさいに彼が誰かを「殺した」という話ではなくて,アニメ映画『イデオン発動編』の作画作業で,登場人物が死ぬシーンの作画をいくつかやった,ということです.

ですから,たとえばこういう事実があれば,この発話は事実を言っていることになります:
  • ケース A: 板野氏が『イデオン発動編』で4人の作中人物が同時に死ぬシーン1つの作画を担当した.
  • ケース B: 板野氏が『イデオン発動編』で4人の作中人物それぞれが死ぬシーンを4つ担当した.

他方で,次のような場合には事実を述べていることにはなりません:
  • ケース C: 板野氏が『イデオン発動編』で1人の作中人物が死ぬシーン1つの作画を担当した.そして,他には誰かが死ぬシーンを作画していない.

このように,平叙文を断定したときに,それが事実を述べていることになるかそうでないかということを,【真理値】と呼びます.真理値には,【】と【】の2つがあります.

ケース A と B では,板野氏の「何人かは殺してますよ」は真ですが,ケース C では偽です.

ところで,問い 1 の問題文では,次のようなケースはどうだろうかとも尋ねておきました:
  • ケース D: 板野さんが出刃包丁で知り合いのアニメ監督やプロデューサーを「何人か」刺して殺した.

これは,板野氏の発話が事実を言っているかどうかに無関係です.実際にナマの人間を何人か殺したとしても『イデオン発動編』で何人かが死ぬシーンの作画をしていなけば発言は偽ですし,本物の殺人をしていなくても何人かの死亡シーンを描いていれば発言は真です.

このように,ある平叙文を断定したときに,それが真か偽か判定する条件のことを【真理条件】と呼びます.ケース A-C のような『イデオン発動編』での死亡シーン作画に関する事実は「何人かは殺してますよ」の真理条件に関わりますが,ケース D のような実際の殺人はこれに関わりません.
  • 略式定義: ある発言が真か偽かを判定する条件を「真理条件」という.

では,おおざっぱに言って,板野氏の発言の真理条件はどんなものでしょうか.
  • 板野氏の発言の真理条件: 板野一郎氏が『イデオン発動編』で作画を担当したシーンで作中人物が「何人か」死んでいる.

「何人か」はあやふやですから,たとえば死亡した作中人物が2人だけの場合には人によって真偽の判定がちがってきたり,判断に迷ったりするかもしれません.そのあやふやな部分も含めての「真理条件」だと考えてください.

  • 練習問題 2-1. 問い 1 でみなさんが用意した答えを見直してください.みなさんが考えた出来事は,板野氏の発言の真理条件に含まれると考えてよいでしょうか.もしかして,ケース D のように無関係だったりしないでしょうか.

2.2 問い 2 を考える――真理条件をくらべる


次に,問い 2 を考えてみましょう.

  • 問い 1 の事例とはちがう意味で「何人かは殺してますよ」を発する場面には,どんなものがありうるだろうか? 具体的にどんな人がどんな状況で発する場面なら,上記のインタビューとはちがう意味になるか,考えてみよう.


奇跡的なことに,この問いの答案を出してくださった方がいたので,素材に利用させてもらいます(「三月うさぎ」さん,ありがとうございました).

答案から2つ引用します.まず,1つ目:
  • 場面 A: 大量殺人犯の無実を証明しようと敏腕弁護士が犯人と面会し「本当にこんなに殺したとは思えないんだ」と言うと、相手は「いや、何人かは殺してますよ」と答えた。(出典

この場面での犯人の発言「何人かは殺してますよ」の真理条件に,さきほどのケース A-D はまったく無関係ですね.アニメーターの板野さんが『イデオン』のどんなシーンを作画していようといまいと,この発言の真偽にはまったく影響はありません.無関係です.他方で,次のような場合にはこの発言は真になります:
  • ケース E: この犯人氏は,この発言以前に5人の人間を殺している.

また,次のような場合にはこの発言は偽です:
  • ケース F: この犯人氏は,この発言以前に誰も殺したことがない.

おおざっぱにまとめると,この場面 A での「何人かは殺してますよ」発言にはこういう真理条件があると言えそうです:
  • 犯人氏の発言@場面 A の真理条件:この当該の犯人氏が,発言時点よりも前に,彼が殺したと疑われている大勢の人々のうち,何人かを殺している.

つづいて,答案の2つ目:
  • 場面 B: 凶悪犯罪事件専門の敏腕弁護士はこれまで何人もの容疑者を死刑から救ってきた。「あなたはこれまで負け知らずでしょうね」「いえ、何人かは殺してますよ」(出典

ちょっと質問してみましょうか――次の事実があるとき,この敏腕弁護士の発言は真でしょうか,偽でしょうか,それとも真偽に無関係でしょうか?
  • ケース G: この敏腕弁護士氏は,この発言以前に,毒薬を使って恨みのある人々3人を殺したことがある.

答えは「無関係」ですね.ここで敏腕弁護士氏が言っているのは,弁護を担当した容疑者たちの死刑判決を避けられなかったということです.ですから,たとえば次のような場合にはこの発言は真になります:
  • ケース H: この敏腕弁護士氏は,凶悪な連続殺人事件の容疑者X太郎,Y次郎,Z子の弁護を担当し,かつ,この3人は死刑判決となり,後年に彼らの死刑が執行された

他方で,たとえば前述のケース A-F は,やっぱりこの発言の真偽に無関係です.

こちらの真理条件は,だいたいこんなところでしょう:

  • 敏腕弁護士の発言@場面 B の真理条件:この敏腕弁護士氏が,発言時点よりも前に,死刑執行の見込みが大きい容疑者の弁護を何回か担当し,そのうちの一部の裁判で容疑者が死刑判決を受け,のちに死刑執行されている.


このように,「何人かは殺してますよ」という発言が場面ごとに真理条件がちがっていることから,その「意味」がちがっているとわかります.

  • 練習問題 2-2: みなさんの用意した答案も,これらと同じように板野さんの発言とちがう真理条件になっているでしょうか.見直してみてください.


2.3 同じ文,ちがう真理条件


以上,問い 1 と 2 で,「何人かは殺してますよ」という同じ文が場面ごとにちがった真理条件をもつことを見てきました.それぞれの発言の真理条件がちがうということは,それぞれの発言の意味がちがうということです.

あらためて,3つの具体例の真理条件を眺めてみましょう:
  • 板野氏の発言の真理条件: 板野一郎氏が『イデオン発動編』で作画を担当したシーンで作中人物が「何人か」死んでいる.
  • 犯人氏の発言@場面 A の真理条件:この当該の犯人氏が,発言時点よりも前に,何人かを殺している.
  • 敏腕弁護士の発言@場面 B の真理条件:この敏腕弁護士氏が,発言時点よりも前に,死刑執行の見込みが大きい容疑者たちの弁護を何回か担当し,そのうちの一部の裁判で容疑者が死刑判決を受け,のちに死刑執行されている.

こうしてみると,真理条件がまるっきりちがうのがよくわかりますね.そして,これがすべて同じ文「何人かは殺してますよ」を発する発言で生じているのです.

すると,こんな風に思いたくなるかもしれません――「ほら,やっぱり言葉はいろんな文脈で使われることで意味が変わるんだよ!」

ですが,「言葉の意味が変わる」という部分に注意が必要です.というのも,真理条件を左右するものは,明示された言語表現だけではないからです.

言語表現をよく見てみましょう:「何人かは殺してますよ」――この文の主語はそもそも明示されていないので補わねばなりませんし,「何人か」がどういう集団のなかの「何人か」なのかも文そのものには明示されていません.いずれも,この文を発した文脈から補わねばなりません.それぞれ,次のように文脈から補われています.

▼ 省略された主語あるいは「殺す」動作主の復元:
  • インタビューでの発言:板野一郎氏
  • 場面 A: 犯人氏
  • 場面 B: 敏腕弁護士氏

▼ 「何人か」が参照する集団・集合の限定:
  • インタビューでの発言:『イデオン発動編』の作中人物
  • 場面 A: 犯人が殺したと疑われている大勢の人々
  • 場面 B: 敏腕弁護士が弁護を担当した死刑執行の見込みが大きかった容疑者たち

これらは,明らかに先行する文脈情報をもとにしてそれぞれの真理条件に反映されています.この文そのもの(あるいはそれを構成する単語・形態素)の「意味」に含まれているのではありません.

他にも,文そのものの意味ではなくて文脈情報から来ているものはありそうですね.これを,次回までの問いにしましょう:
  • 問い 3: 板野氏の発言,場面 A の発言,場面 B の発言それぞれについて,「何人かは殺してますよ」という文そのものが貢献しているのではない真理条件の要素を洗い出してみよう.

なかには,判断がむずかしい要素があるはずです(だからこそ,いきなり普通とはひと味ちがう発言を題材にしたのです).そういう要素には「?」マークをつけてリストアップしてください.

では,また後日.(つづき

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