2017年2月24日金曜日

weblog



▼「カーン・アカデミーと科学教育動画の有効性」
  • Derek Alexander Muller, "Khan Academy and the Effectiveness of Science Videos," YouTube, March 17, 2011. 
  • カーン・アカデミーがやっているような科学教育動画はすばらしい.だが,Muller によれば,学習者たちはこうした動画を見て「明快だ」「わかりやすい」と好意的な感想を述べる一方で,動画視聴の前後で,そこで説明されている概念についての理解度がほとんど向上しないという.正しい考え方だけでなく,間違った考え方を動画に取り込むと,学習者は「わかりにくい」と感想を述べるが,視聴後にスコアは向上するという.

▼ カーネマン & クライン (2009)

  • Kahneman D, Klein G., "Conditions for intuitive expertise: a failure to disagree," American Psychologist, September 2009, Vol.64, No.6. 
  • 専門家の直観と専門知識は,ほんとうに優れている場合もあればたんに自信過剰なだけの場合もある.両者をわかつ条件はなんだろうか.

Abstract
This article reports on an effort to explore the differences between two approaches to intuition and expertise that are often viewed as conflicting: heuristics and biases (HB) and naturalistic decision making (NDM). Starting from the obvious fact that professional intuition is sometimes marvelous and sometimes flawed, the authors attempt to map the boundary conditions that separate true intuitive skill from overconfident and biased impressions. They conclude that evaluating the likely quality of an intuitive judgment requires an assessment of the predictability of the environment in which the judgment is made and of the individual's opportunity to learn the regularities of that environment. Subjective experience is not a reliable indicator of judgment accuracy.



2017年2月23日木曜日

新年度の授業準備 #3


教科書とリスニング音声を確保しないと


採用決定した語学教科書の本体とリスニング問題の音声を各出版社に問い合わせる.めんどい.

さすがに,いまではリスニング問題の音声が出版社ウェブサイトでダウンロードできるようになっている.えらい.ただ,それでも問題はあって,パスワードの発行が必要だったり,新版の音声がまだウェブサイトに用意されていなかったりする.こちらとしては,さっさと確保したいのだが.





2017年2月22日水曜日

dマガジンを試してみる

ドコモの dアニメにつづいて,月額432円(税込)で雑誌読み放題の dマガジンを試してみることにした.

雑誌の品揃えはそれなりで,ぼくの趣味だと『週刊アスキー』や 『Wired』 あたりを適当に流し読みできるほか,『週刊文春』みたいにふだん縁がない雑誌から気になる記事だけを拾い読みするのにはちょうどいいかもしれない.

雑誌のレイアウトは紙の雑誌をそのまま踏襲してるらしく,使用端末によって読みやすさは変わってくる.

まず,5.2インチスマートフォンの Huawei P9(フルHD)だと,誌面が小さすぎてとてもではないけれどまともに読んでいられない.

10インチの Xperia Z4タブレット(2560×1600)だと,見開きで読むのは少しつらく,縦表示1ページずつでなら文字を十分に大きく表示できる一方,見開き前提のレイアウトゆえに読みにくい場合も多い.

12インチの Surface Pro4 (2736 x 1824)だと,横画面で見開き2ページの表示でもそこそこ快適に読める.逆に,これで縦画面にすると大きすぎる感じ.

誌面のレイアウトはなおざりなところが目立つ.たとえば,下記の例を見ると,見開きで読ませる誌面でありながら,画面中央に大きくスペースをとっているために「バルミューダはまさかの硬すぎ」と読ませたいはずの見出しが,初見では素直に続けて読みにくくなってしまっている.

▲ 見出しのまとまりが崩れてしまって,「まさかの硬すぎ!? のは象印だった!」がまとまりをつくってるように見えてしまう

こういうツメの甘さは多々見受けられるものの,いろんな雑誌から必要なところだけつまみ食いするとしたら,月額432円で継続していいかな,といまのところは思える.

とりあえず,無料お試し期間が終わる前のタイミングで解約するかどうか考えるリマインダを設定しておいた.

2017年2月21日火曜日

新年度の準備作業 #2

来年度シラバスのうち,1つだけぎりぎりまで悩み続けた.いつもの英語の授業ではない「特殊講義」で,教育方法の実験場のような位置づけで,内容だけでなく教え方も新しいことを試してほしいという要望だった(とぼくは理解した).

いろいろネタだしをしてどうにかシラバスは仕上げたものの,講義本編の準備はただごとではない.来年度で死ぬ予感がする大きな要因の1つだ.

2017年2月20日月曜日

weblog

▼ ティム・ハーフォード「とっちらかり」(ポッドキャスト)

▼ 「儀式の力」(イギリス心理学会ブログ)

▼ 時間泥棒

2017年2月19日日曜日

新年度の準備作業 #1

こつこつ支度を調えないと4月になって死ぬ予感がするので,ここでメモを書きながらペースを整えていきたい.

weblog

ツイッターに流すのでもなく,ソーシャルブックマークを利用するでもなく,ただ Evernote にため込んだものをおさらいするのにこういう古式ゆかしいことをしているんだよ.とはいえ,三日坊主で終わりそうな予感もある.

▼ ロボットに課税して自動化を減速:

▼ 調査報道,ウェブメディア

▼ ティム・ハーフォード「理想のオフィスとは?」



▼ 時間泥棒



2017年2月18日土曜日

ジェフリー・ミラー『消費』のアレ

▼ 発端:

▼ これまでの足跡(カッコ内の日付はその章がおわった日を示す):
  • 第1章「ダーウィン,モールにゆくの巻」(2016年11月11日)
  • 第2章「マーケティングの魔術」(2016年11月21日)
  • 第3章「マーケティングが文化の中心にある理由」(2016年11月28日)
  • 第4章「ゼニにやられた脳」(2016年12月2日)
  • 第5章「消費主義の根本的な妄執」(2016年12月8日)
  • 第6章「適応度を見せびらかす」(2016年12月17日)
  • 第7章「誇示的な浪費,精度,評判」(2016年12月24日)
  • 第8章「自己ブランディングする体,自己マーケティングする心」(2016年12月30日)
  • 第9章「中核6項目」(2017年1月5日)
  • 第10章「消費者が見せびらかしマーケターが無視する特徴」(2017年1月9日)
  • 第11章「一般知性」(2017年1月20日)
  • 第12章「開放性」(2017年2月6日)
  • 第13章「堅実性」(2017年2月18日)

▼ これから先:
  • 第14章「同調性」(Agreeableness) (2017年3月7日)
  • 第15章「遠心的な魂」(The Centrifugal Soul) (2017年3月20日)
  • 第16章「見せびらかす意志」(The Will to Display) (2017年4月6日)
  • 第17章「自由を法制化する」(Legalizing Freedom)(2017年4月18日)
  • 「読者のための練習問題」(Exercises for the Reader) (2017年4月21日)
  • 「もっと読んだり見たりしたいなら」(Further Reading and Viewing) 

3月7日追記

しばらくサボリ気味.ページ数少ないのに第14章が終わるまでずいぶん時間をかけてしまった.

4月18日追記

本文はひととおり訳し終えたよ.えらい?






ピンカー「等位接続詞と従位接続詞にはなんの共通点もない」

スティーブン・ピンカー Sense of Style から:
p.84 に掲載したリストに「接続詞」のような伝統的範疇が入っていないのには理由がある.伝統文法では,接続詞には2つの下位範疇があって,「等位接続詞」(and や or など)と「従位接続詞」(that や if など)とに大きく分けられる.ところが,実は等位接続詞と従位接続詞にはなんの共通点もないし,両方を含む「接続詞」という範疇もないのだ.ついでに言えば,伝統的に従位接続詞と呼ばれてきた単語の多く,たとえば before や after は,実のところ前置詞だったりする [n.7].たとえば,after the love has gone(愛が失せたあと)の afterは,誰が見ても文句なしに前置詞の after the dance(ダンスのあと)の after と変わらない.たんに,伝統文法家たちが機能と範疇を区別しそこなって,前置詞が目的語に名詞句だけでなく節もとれる点が見えなくなっていただけだ.
原文:
There is a reason why the list on page 84, for example, doesn't have the traditional category called "conjunction," with the subtypes "coordinating conjunction" (words like /and/ and /or/) and "subordinating conjunction" (words like /that/ and /if/). It turns out that coordinators and subordinators have nothing in common, and there is no category called "conjunction" that includes them both. For that matter, many of the words that were traditionally called subordinating conjunctions, like /before/ and /after/, are actually prepositions. The /after/ in /after the love has gone/, for example, is just the /after/ which appears in /after the dance/, which everyone agrees is a preposition. It was just a failure of the traditional grammarians to dinstinguish categories from functions that blinded them to the realization that a preposition could take a clause, not just a noun phrase, as its object. 
脚註 7 で参照されているのはハドルストンとプラムの英文法書:

weblog


思い出したようにブログを利用するよ.

▼「スティグリッツ:フェイスブックよりトイレの発明の方がずっと重大だよ」

▼クルーグマン「無知は力なり」
▼ クルーグマン「ウォーターゲートよりひどい状況」


▼マイケル・シャーマー「事実では説得できないときどうすればいいか」

▼ 縄文時代の「暴力」についての研究(2016年);データは面白いけど解釈の方は要注意かな.
去年のニュースなのに,なんでいまさら SNS に出回ってるんだろう.



2017年2月15日水曜日

2017年2月13日月曜日

メモ: 法の支配を軽視した果ては?


トランプ政権には前代未聞の要素がある:リーダーと取り巻きが法の支配を根っこから軽蔑している点だ.これは安定しない.

今後の展開 (dynamic) としてありうるのは,ハンガリー方式の市民社会に対する威嚇とその弱体化,そして新体制の権力をひたすら強化し続けるというもの. 

もうひとつありうるのは,自壊 (implosion) だ:〔法の支配を軽視することによって権力・統治の〕正当性が浸食され,権力が損なわれ,もしかすると当の本人〔トランプ〕が権力にしがみつきながらも事実上の骨抜きにあるかもしれない.