2016年8月31日水曜日

スポーツ用ワイヤレスイヤホン:ソニー MDR-AS800BT


ジョギングのお伴に,スポーツ用 Bluetooth イヤホン MDR-AS800BT を使っている [Amazon].小型軽量で防滴仕様,かんじんの装着感も良好だ.

2016年8月26日金曜日

落下防止リングがつけたくて:Huawei P9 用透明タイプケース

落下防止のリングは自分にとって必須アイテムだけど,先日使い始めた Huawei P9 にはストラップ穴がない.いろいろ探してもストラップ穴なしの製品ばかりで,ずいぶん時間をかけてようやく1つ見つけられた:Ringke の「クリスタル クリアケース for Huawei P9」がそれだ.

2016年8月24日水曜日

雨宮 (2016) におけるハーレー et al. (2011/2015) の論評

雨宮俊彦『笑いとユーモアの心理学:何が可笑しいの?』(ミネルヴァ書房,2016)は,日本語で公表されたユーモア心理学に関する貴重な単著だ.そして,ハーレー et al.『ヒトはなぜ笑うのか』を参照したおそらく最初の日本語文献でもある.ただ,そのまとめ方は,あまりフェアなものになっていない.

ハリス「くすぐったさの2つのかたち:ニスメーシスとガルガレーシス」


C.R.Harris "Tickling" (pdf) から,「くすぐったさの2つのかたち:ニスメーシスとガルガレーシス」のセクションのみを抜粋して訳す:
英単語 'tickle'(くすぐったさ)が指し示す現象は,少なくとも2つに区別されそうだ.ただ,両者は排他的ではないかもしれない.一方の現象は特有の感覚で,肌を「つー」っと伝うごくかるい動きによって生じるむずがゆい感覚の移動で特徴づけられたりする.このタイプのくすぐりは,体のどの部位だろうと,かるく肌に指をはわせればかんたんに引き起こせる.刺激を加えた後も何秒間にもわたって不快感はつづくことがあり,くすぐられたところをこすったりひっかいたりしたいという強い欲求がうまれることもある(そうすれば不快感が消えるように思えるため).特筆すべき点として,このタイプのくすぐりで人はめったに笑わない.これと対照的に, 笑いを引き起こすにはこれよりも強く圧をかけて脇腹や脇の下を繰り返し触る必要がある.この2タイプのくすぐりの区別は,19世紀の著名な心理学者 G.スタンリー・ホールの『心理医療辞典』(Dictionary of Psychological Medicine) によって1897年に述べられている.ホールと同僚のアーサー・エイリン (Arthur Allin) は,かるいくすぐりを「ニスメーシス」('knismesis'),笑いを引き起こす強めのくすぐりを「ガルガレーシス 」('gargalesis') と呼ぼうと提案した.だが,この両者の区別は,足を考えるとぼやけるように思える.大半の人にとって,足に強い圧を加えられればマッサージの感覚が生じるのに対して,いくぶんかるく触ると笑いが生じることが多い. 
ガルガレーシスの方がニスメーシスよりも謎めいていると言えそうだ.ガルガレーシスとニスメーシスは明瞭に異なっているように思える.第一に,前述のとおり,ニスメーシスは総じて笑いを生じさせない――いくつもの点でくすぐりでなによりも不可解な側面である笑いを生じさせない.第二に,ニスメーシスの感覚は自分でかんたんに引き起こせるが,ガルガレーシスの方は自分で首尾よく引き起こせない(i.e., 自分で自分をくすぐっても笑いはわき起こらない). 
最後に,ニスメーシスの進化論的な機能は容易に想像できる:つまり,不快な感覚が生じると,そのくすぐったい箇所を引っ掻いたりこすったりするよう促され,自分の体を這い回っている昆虫や寄生虫がそこにいればこれを排除できる.

  • C.R.Harris "Tickling." In V.S.Ramachandran (ed.), Encyclopedia of Human Behavior (2nd edition). Academic Press. [Amazon]


Xperia Z4タブレットも「ヌガー」アップデート対象

ソニーモバイルの発表
We will make Android 7.0, Nougat available for: Xperia Z3+, Xperia Z4 Tablet, Xperia Z5, Xperia Z5 Compact, Xperia Z5 Premium, Xperia X, Xperia XA, Xperia XA Ultra and Xperia X Performance.
ひとまず安心.(via Xperia blog)

Android Nougat でサポートされる機能では,とくにスクリーン分割に期待してる.




G.E.ムーア「ムーアのパラドクス」(1993)

  • Moore, G.E. "Moore's Paradox." In Thomas Baldwin (ed.), G.E.Moore: Selected Writings. Routledge, 1993/2013. [Amazon]
編者の註釈:
本稿は,ケンブリッジ大学図書館に所蔵されているムーアの原稿に含まれていた無題・未完の手稿である.ムーアはこれを公表に向けて準備してはいなかった.手稿はかなり乱雑で,ところどころ判読困難な箇所もある.編者は,暫定的にこれを1944年以降のものと考える.ムーアは,1930年代以降の講義で彼のいう「パラドクス」に簡略に言及したことが数回あり,また,1942年の『G.E.ムーアの哲学』(The Philosophy of G.E.Moore) では批判者への応答でパラドクスを述べているし,1944年の論考「ラッセルの記述理論」("Russell's Theory of Description";『哲学論文集』(Philosophical Papers) に再掲)でも言及している.だが,このパラドックスを長文で論じたものを公表することはなかった.1944年にウィトゲンシュタインからムーアに宛てた手紙では,精神科学クラブ (Moral Science Club) でムーアがこれについて発表した論文をウィトゲンシュタインが賞賛している.本稿が,その論文の手稿なのだろうか? 編者はそうではないだろうと考える――というのも,本稿はウィトゲンシュタインがこの主題について述べたことへの応答というかたちをとっているからだ.編者の所見では,ムーアの最初の論文(現在も未発見)につづけてウィトゲンシュタインが同じ主題について論文を公表し,そのあとでムーアが再び本稿で問題を論じなおしたのだと思われる.ウィトゲンシュタインは「ムーアのパラドクス」(この名称はウィトゲンシュタインに由来する)を『哲学探究』(Philosophical Investigations, Blackwell, Oxford: 1953) の第二部セクション x で論じている.同書のもとになったウィトゲンシュタインの手稿は『心理学の哲学に関する最終原稿』(Last Writings on the Philosophy of Psychology, vol.1, Blackwell, Oxford: 1982) として出版されており,そちらではムーアのパラドクスについてさらに多く論じられている.

言外の信念含意における指示の不透明性

次のような理由文を発話すると,理由節の内容を主節の動作主が信じていたことが含意される:
  • 「雨が降るかもしれなかったので,田中さんは洗濯物をしまった」
たとえば,上記の発話につづけて,「…でも,田中さんは雨が降るかもしれないと思っていなかった」などと続けるとおかしい.
  • 信念含意:洗濯物をしまう時点で,田中さんは「雨が降るかもしれない」と信じていた.
こうした言外の信念の内容は,理由節の言葉通りの記述とは異なりうる.指さしを伴う直示 (demonstration) の例を考えてみよう:
  • (写真に映っている男を指さしながら)「この男が妨害するかもしれなかったから,彼女は念のために先手を打ったんですよ」
ここでも,理由節の内容を「彼女」が信じていたという含意は生じる.だが,指さしをともなう「この男」の指示そのものは,当然,その信念の内容には含まれない.彼女が信じているのは,「この男」で指示されるのと同一人物が妨害するかもしれないということであって,理由節の言葉そのままの内容を信じているわけではない.

また,なんの文脈もなければ,次のような発話はおかしなことを言っていると受けとられるだろう:
  • 山田をはね殺してしまったので,田中はうろたえながら車を降りた.
  • #しかし,田中は山田をはね殺したとはそのとき思っていなかった.
だが,次のような殺人事件シナリオではどうだろうか(Searle 1983 の不透明性文脈を改変して利用):
  • シナリオ:田中は,遺産相続で争っている叔父の山田を殺そうと完全犯罪の計画を立て,彼の山荘に向かって深夜に山道を車で飛ばしている.そこへ,酩酊しているらしき男が急に飛び出してきて,これを田中ははね飛ばしてしまう.猛スピードで飛ばしていたので,男が死んでしまったのは確実だ.田中はうろたえながらも車を降りて男の方へ駆け寄る.ヘッドライトに照らされて暗闇に浮かんだ男の顔をみて,田中は驚く――その男は,他でもなく,これから自分が殺そうとしていた叔父の山田だったのだ.
このシナリオの一場面をあらためて記述する発話として,次のように言っても矛盾はしない:
  • 叔父である山田は,酔いを覚まそうとして山荘をでてあたりをふらふらと歩いていた.彼を殺そうと車を飛ばしていた田中は,彼をはねとばしてしまう.山田をはね殺してしまったので,田中はうろたえながら車を降りた.しかし,田中は山田をはね殺したとはそのとき思っていなかった.
この理由文で含意されているのは,話し手視点で「山田」で同定されている人物をはね殺してしまったと田中が信じていたということであって,その人物が山田その人だということまでは信念に含まれない.もし,理由節の記述そのままの内容を田中が信じているとすると――叔父である山田をはね殺してしまったのだと事故時点の田中が信じているとすると――上記のシナリオと矛盾をきたすことになる.しかし,ここでは信念文脈での指示の不透明性があるために,田中に帰せられる信念の内容は「山田を自分ははね殺した」ではなく「酩酊した見知らぬ男を自分はいまはね殺した」とでも言い表せるものとなる.

2016年8月22日月曜日

抜粋メモ:クルーグマン「立ち往生してる経済」(2016年8月20日)




後半部分を少し抜き出しておこう:
it’s surely relevant that the two big advanced economies — the US and the eurozone — both have fiscal policy paralyzed by political gridlock, leaving the central banks as the only game in town.
(…)アメリカとユーロ圏では,政治的な立ち往生〔グリッドロック〕によって,財政政策が痲痺してしまい,動きがとれるのは中央銀行だけになってしまっている. 
In the U.S., it’s House Republicans who block spending on anything except weapons; they won’t even allocate funds for Zika! In Europe, nothing fiscal can happen without action by Germany, which is both self-satisfied with its situation and living in its own intellectual universe.
アメリカでは,武器以外にはどんな支出も許そうとしない議会の共和党がいる.連中ときたら,ジカ熱対策にお金を回すことすら拒んでいる.欧州では,ドイツが行動をとらないかぎり財政はうごきっこない.そのドイツは,自国の状況に自足していて,しかも,じぶんの知的宇宙にとじこもっている.
他方,日本はちょっと政治経済的な状況がちがうと考えているらしい:
Japan is, I think, an interesting case, because whatever else it may suffer from, it hasn’t faced US or EZ-type gridlock. It’s not as clean a case as I would like — Abe allowed himself to be talked by the Serious People into fiscal tightening early on, putting the whole burden on Kuroda. But if you look at the longer-term story since the 1990s, Japan actually has had a combination of deficit spending and relatively cautious monetary policy — more or less what Weldon thinks the political economy should be causing everywhere.
日本は,興味をひく事例だと思う.というのも,いま日本がなにに苦しめられているにせよ,アメリカ型やユーロ圏型の立ち往生にははまっていないからだ.ぼくがのぞむほどすっきりした状況にはない――安倍は「お真面目な連中」〔財政緊縮派〕に言い込められて序盤から財政緊縮を許し,重責はまるごと黒田にのしかかった.ただ,もっと長期的に1990年代以降の事情をみると,日本は実のところ赤字支出と相対的に慎重な金融政策の組み合わせをとってきた――いまあちこちで政治経済状況が引き起こしているウェルドンが考えているのとだいたい同じ組み合わせをとっていたわけだ.

The problem now is that while advocates of more fiscal push seem to be winning the intellectual battle, the institutional arrangements that produce macro gridlock are likely to persist. It would take a yuuuge Democratic wave to break the gridlock here, and I have no idea what will unlock Europe.
いまの問題はこういうことだ――知的には積極的な財政政策を支持する論が勝利を収めつつあるように思えるが,マクロの立ち往生をつくりだしている制度的な環境はまだまだ長く続きそうに思える.ここアメリカでの〔政治的〕行き詰まりを打ち破るには民主党のすんげえ大勝利が必要だろう.欧州ではどうすれば行き詰まりが打破されるのか,ぼくにはさっぱりわからない.

2016年8月21日日曜日

お買い物:学生の「発言ポイント」用スタンプ

英語の授業で学生さまの発言を奨励&記録するために,いままではシールを使ってきた.とくにミドリの「フィルムふせん」シリーズはかわいいデザインがそろっていて,学生さまにも自分にもご好評.ただ,150枚410円とちょっとばかりお値段が高く,しかも台紙からはがしにくくて授業進行のテンポをくずしがちなのが困りものだった.

おきにいりのフィルムふせん.ひげがかわいい.

2016年8月18日木曜日

抜粋メモ:クルーグマン「アベノミクスと一本の矢」


アベノミクスに言及しているクルーグマンのブログ記事(8月15日)から,ニュースの *ない* 部分を抜粋してみよう:
Overall, fiscal policy in Japan has actually gotten tighter, not looser, since Abenomics began, mainly thanks to the consumption tax hike; other measures didn’t offset this much.
全体として,アベノミクス開始いらい,日本の財政政策はゆるめて拡大されるどころか逆に引き締められている.主に,消費増税のおかげだ.他の施策は,この影響をあまり相殺しなかった. 
So all the weight rested on unconventional monetary policy, which did succeed in depressing the yen and pushing up stocks, but hasn’t been enough to generate a convincing boom or rise in inflation.
すると,重責がすべて非伝統的な金融政策にのしかかった.たしかに金融政策は円を安くし株価を押し上げるのに成功した.でも,たしかな好景気やインフレ上昇を生み出すのには足りていない.
And that appears to not be enough, just as the ECB’s actions haven’t been enough without fiscal support. Never mind the third arrow: what we need is the second.
これは不十分にみえる.ちょうど,欧州中央銀行の対応が財政の支援なしで不十分になっているのと同じだ.三本目の矢〔構造改革〕なんて気にしないでいい:必要なのは二本目の矢〔財政政策〕だ.
("Abenomics and the Single Arrow," The Conscience of a Liberal, August 15, 2016)

2016年8月13日土曜日

変ではない,けどひっかかる「代換法」: an embarrassing number of X

The Verge の記事から用例を採取:
I need a new bag for my computing stuff. Okay, not need per se, since I have an embarrassing number of bags already, each capable of carrying my laptop and camera gear and whatever else I might choose to hoist over my shoulders. 
PCなんかを持ち運ぶのに新しい鞄が必要だ.いやまあ,「必要」ってのはちょっとちがうかな.鞄なんて,もう恥ずかしくなるくらいたくさんもってる.どれを使っても,ノートPCでもカメラ用品でもなんでも好きに突っ込んでヒョイと肩にかけて持ち運べる.
a number of 「たくさんのX」に形容詞 embarrassing が組み合わさって,an embarrassing number of bags という句ができあがってる.

ぼくが「引っかかる」と言ってるのは,べつに誤用だとかって意味じゃなくて,こういう修飾関係が,典型的な形容詞+名詞の修飾とちょっとちがうように思うからだ.構造だけを見れば,embarrassing は名詞 number を修飾していることになる.でも,number がこの記者を恥ずかしがらせるわけじゃない.鞄がとっくにたくさんある有様が恥ずかしいわけだ.言い換えれば,embarrassing が修飾するモノは,number でもなく,まして鞄でもない.こうした単語から話し手・聞き手によって組み立てられる状況をふまえてはじめて形容詞の修飾がちゃんと仕事できるように,ぼくには思える.

修辞学では,こういう修飾関係を「代換法」と呼ぶ.けれど,異例な比喩の問題だと言ってすませると,修飾というものの柔軟性を見誤ってしまうんじゃなかろうか.類例は日常の言語でけっこう見かける気がする.



2016年8月12日金曜日

授業の副産物: アンドリュー・マカフィー「第二の機械時代」(pt.3)

授業のおまけでつくったもの.パート1 はこちら

  • Andrew McAfee, "The Second Machine Age"英日対訳 (PDF)

パート 2 はもろもろの事情で対訳をつくってない.

対格の動作主名詞をとる動名詞句の例

べつに例外的なかたちではないけれど,あんまり実例に出くわさないのでメモっておく:
This could be explained by [us automatically mirroring the movements of the other person], ... 
これは,[私たちが自動的に他人の動作を鏡映しにしていること] によって説明できそうだが(…) 


動名詞 (gerunds) の特徴は,全体としては名詞句と同じようにふるまいながらも,句のなかでは動詞らしい特徴を見せるところにある.上記の例では,動詞 mirror「鏡映しにする」からできた動名詞 mirroring が目的語の the movement ... を of などをはさまずにとっている.これは,動詞と同様のふるまいだ.このとき,誰が mirror するのかを示す名詞・代名詞が対格の us になっている.文法的には,所有格 our にしてもかまわないはずだ.他方で,動名詞の句全体としては,名詞句として前置詞 by に後続している.